寄り道したっていいじゃない

人生の寄り道って、不安だけど面白い。

そこまで言うなら自分で作れ!という心の叫び


やっぱりその気持ちは、

それをやったことがない人にはわかりっこないのよ。



どんなことでもそうだと思うけど、

やったことがない人が、


「それわかる~~~」


と共感したり、


「ん?なんでそう思うの??意味わからん」


と否定したり、


と当事者に言う筋合いはない。




私は家族にご飯を作ることによって、それに気がついた。



私が料理担当で家族の分のメニューを考え、

買い出しに行き、

時間を考えて作り始める。


「メニューは何にすれば喜ばれるか」

「バランス偏らないようにしたいわ」

「量は多めの方が、おかわりしやすいかも」


など、それなりに気を遣い、

喜ばれるように考える。




そしてこんな内容にしようと決め、

レッツラクッキングー☆という時に、

父からの電話で


「今日の夕飯は無しでいいです。」


「おかずは少し欲しいかも」


等と、当初の予定とは違うことを直前に申し出る。




(ドキッとした人、いるんじゃなぁい??😏)




それを聞くだけで一気にテンションだだ下がりになるのを、言った側は把握しているのだろうか。いや、していない。



「夕飯一人分の手間省けたでしょ~~~?」なーんて、思ってる人もいるかもしれないけど。



それこそ厄介、というか面倒なのよ。



だって、分量考えて買い出ししてるんだから、材料余るし、更にレシピ頼りな人は臨機応変に対応しづらいのよ!!!(これは違うカモ?笑)



また、この発言をご飯完成した後に聞いた時には思わずキレ口調で「遅いわよ!」と返してしまうくらい、ふざけんなよ案件😎



テーブルには、すぐにでも食べられるようにセットしてあるお皿やお箸が……

それが突然虚しく見えてくる………




この虚無感がご飯を誰かのために作ったことがない人にはわかるかしら???



(あと、家庭料理とスーパーで買ってきた出来合いの物を一緒に置かれて食べている光景も、なぜかすごく悔しく、悲しくなってくる。別に出来合いのものを否定はしていない。だけど、味も調整し、喜ばれるように作ったものと、事務的に作られ、安売り待ったナシのものを一緒にされるのが、屈辱的でもあったの。当の本人はなんとも思ってないようだけど)




ええ、ええ。

わからないでしょうとも。



私も子どもの頃は、ご飯を作ってくれる母の気持ちなんて考えず、


「急遽、友達とご飯食べに行くことになったから夕飯いらなーい!」


なんて軽い気持ちでメールして、

返信で怒られてたこともあったわ。



その時は私は、


「作る量減ったからいいじゃん。

別に用意していたって、ラップすれば明日に持ち越せるじゃん」


なんて生意気なことを思っていたわね😌




でも、ご飯を用意する側になり、母の気持ちがわかってきた。




用意した物理的な時間と思いを返せと言いたくなるのもわかる。



そんなにいらないっていうなら、もう作らない!!!と喚くのもわかる。



そうやって人は経験して、自分で感じて

初めてそのことに気づく。




共感してあげることも時には大切かもしれない。



けど、やはり、自分も経験しないとわからない気持ちや思いもたくさんあるし、それをわからずにとりあえず相槌をうつ、なんてことはやめた方がいいわね。



それよりも、なんでそう思ったのかなど、聞いてくれた方がよっぽど優しいものよ😌




人にご飯を作ってもらってる人、

ご飯は当たり前に出てくるわけじゃないからね?

作る人の思いや労力あってだからね?


そこんところ、忘れないでいてよ?💋