その矛盾が成長をさせる力を失わせる
「聞け」と言われ、「聞くな」とも言われる世の中
「なんでそうしているの?」
という問いに多くの人は、
「伝統だから」
「親に言われたから」
「周りがそうだから」
「教科書に書いてあったから」
と答える。
つまり、
自分の意思ではない、または、意味がわからずやっている。
私は中学の頃に、問題を解いている時に出てきた円周率がなぜあんな数字になるのか、疑問に思って先生に聞いてみたの。
そしたらそれには答えず、
「とにかくやれ」
(ここでは目の前の問題を解けってこと)
とだけ言われたわ🙄
先生なのになぜ答えてくれないんだろう?
疑問に思っちゃいけなかった?
頭にはてなマークを残しながら、言われた通り目の前の問題を黙々と解いていたわ。
もちろん、問題を解いた後にも聞いてみたけど、
「そんなこと、考えなくていい」
と一蹴されてしまったわね。
わからないことは質問すること。
大人にそうやって言われてきて育ったのに、
いざ質問すると嫌そうな顔をされたり、
「わからない」と言われる。
子どもながらに「矛盾してない?」とイラつきさえしたものよ。
そしてそれは、
そのまま社会にも引き継がれている。
店員として立っているのに、
そこで販売している物もわからない。
仕事のやり方を教えてもらい、
「なぜその作業をするのか」
必要性を問うても、「とにかくやってくれればいいから」とヘラヘラ笑いながら流される。
そう、相手だってわからないのだ。
というか、「あーそうですか」と
思考を停止し、そのままを受け入れている。
その意味を考えず、
なぜ必要なのかを考えず、
とりあえず言われたからやろう。
そんな調子なのよね。
よく言えば従順なのかもしれない。
けれどこれは自ら考えるということを失くし、成長を止める行為ではないのかしら?
疑問に思い、調べて(知って)解決する。
それにより人は知識を蓄え、次のステップアップに繋げていく。
「人に言われたから」と流され、
なんとなくやっている。
これは、「自分」というものを存在させないこと。その他大勢に過ぎないのよ。
その他大勢であることを"選択"するなら、
それは自分の意思だからいいと思う。
でもそうでなく、「考えずにやっている」のであれば、
いつまで経っても、自分の人生充実できないんじゃないかしら💋
自ら考える。
答えを求める。
そのために行動する。
これこそ、「人生を歩む」ことであると、
私は思っているわ💋✨✨